祝!京都鉄道博物館オープン!「はつかり、がっかり、事故ばっかり」で有名なキハ81形の交通科学博物館時代の写真を公開します。
2016.04.30 Saturday
JUGEMテーマ:鉄道
AKB48選抜総選挙の新潟での開催に備えて、JR東日本新潟支社が上越新幹線の増発と新潟発上野行きの臨時夜行快速列車を運転します!「とき48号」は狙った感じがしますね。(ぉぃ)
チーム8の新曲プロモです。チーム8は可愛く団結力があって良いです。(ぉぃ)
祝!京都鉄道博物館オープン!
充実の展示車両と展示内容で行きたくなります。近くの京都市電や京都水族館と一緒に行きたいです。
展示車両は梅小路蒸気機関車館を引き継いだ多数のSLだけでなく、名車の0系新幹線&500系新幹線&583系寝台電車&豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」や103系電車や食堂車など多彩な車両が展示されています。月刊「鉄道ファン」や「タモリ倶楽部」でも特集されました。
惜しまれつつ閉館になってしまった弁天町の交通科学博物館からも車両や展示物の多くが移設されました。
今回はその交通科学博物館から京都鉄道博物館に移設された、元祖ディーゼル特急キハ81形の交通科学博物館時代の写真を公開します。
キハ81形は首都圏と北海道を連絡する役目を持つ常磐線・東北線の特急「はつかり」で運用するために1960(昭和35)年にデビューしました。「はつかり」は東北方面初の特急であり、最初は蒸気機関車が客車を牽引する列車でスタートしましたが、スピードアップやサービス向上のために国鉄発の電車特急「こだま」号で使われた151系を元にしたディーゼル車として開発されました。
ちなみに・・・当時の「はつかり」は東京(日暮里)と仙台(岩沼)の間は距離が東北線より少し長いものの東北線より勾配が少ない常磐線を経由していました。東北線全線電化で電車化されるとともに東北線経由に変更されました。
151系と酷似したボンネット型の先頭ですが、単線区間でのタブレット対策として運転台が低くなったためサービス電源機器を内蔵しているボンネットがふくれあがった独特の形状になり、犬みたいに見えることから「ブルドッグ」の愛称が付きました。
エンジンは当時の一般型、準急・急行形ディーゼル車と共通のDMH17形ですが、先頭車に1台・食堂車以外の中間車に2台搭載して高速運転のための出力を確保しました。食堂車は当時走行エンジンは非搭載でしたが、後にほかの中間車と同じように走行エンジンを搭載しました。
しかし開発を急いだことや新機軸が多く搭載されたことや長距離高速走行による酷使や東北線の急勾配などによって初期故障が頻発し、このことによって利用客からの信頼を失い、当時の新聞にも「はつかり、がっかり、事故ばっかり」と書かれるようになりました。
その後初期故障も改善され信頼も回復し、これを機に日本海沿岸や北海道や九州などでも特急運転を計画し、正面貫通型に改良されたキハ82系が登場しました。キハ82系は日本海沿岸の北陸線・信越線・羽越線・北陸線の「白鳥」を皮切りに、九州方面の「かもめ」や北海道の「おおぞら」や山陰線の「まつかぜ」や高山線の「ひだ」などに投入されました。
最初は1等車(グリーン車)2両と食堂車1両を含む9両編成でしたが、好評だったことにより後に10両に増車されました。
そして1968(昭和43)年の東北線全線電化で「はつかり」が583系に置き換えられると、奥羽線の「つばさ」に活躍の場を移し、板谷峠での補助機関車連結に備えて連結器カバーが外されました。
しかし程なくして今度は羽越線の「いなほ」と間合いの常磐線「ひたち」に転用されました。
そして羽越線・常磐線が電化されると「いなほ」「ひたち」は485系に置き換えられ、何と紀勢線の「くろしお」に転用されました。
しかし長距離高速走行での酷使によって老朽化が早く進行し、1978(昭和53)年の紀勢線和歌山〜新宮間電化によって381系電車に置き換えられて引退しました。
最後に残った車両は大阪の交通科学博物館に移設・保存展示され、同館のシンボルとして長年愛され続けました。最初は屋根無しでの展示でしたが、後に風雨対策として屋根を設置しました。
しかし交通科学博物館も老朽化と手狭が問題視されるようになり、同館を閉鎖して京都の梅小路蒸気機関車館をリニューアルした新しい博物館の「京都鉄道博物館」に展示車両と展示物を移設することになりました。ただし一部の展示車両は京都ではなく岡山県津山に移設しました。
京都への移設後はボンネットの開閉ができるように再整備されました。
新しい博物館でも、名車を後世に伝えてほしいです。