SKE48の新曲は「不器用太陽」で、選抜メンバーはSKE史上最多の20人になるそうです。今度の新曲も楽しみです。
「ミュージックステーション」で「ラブラドール・レトリバー」と「フライングゲット」をやっていました。「テレ東音楽祭」でもAKBグループメンバーが出て言いました。テレ東では人気特番「ローカル路線バスの旅」の蛭子能収も出ていました。
今回は戦前の阪急電車と阪神電車の対立について書きます。
阪急電車と阪神電車は関西を代表する私鉄であり、現在は同一系列ですが戦前は旅客争いをめぐって激しく対立していました。
阪急電車はもともと大阪・梅田と宝塚を結ぶ路線として開業しましたが、宝塚で成功したのを機に大阪と神戸を結ぶ都市間電車をつくることになり、その際に神戸と西宮を結ぶ予定だった灘循環電気軌道を買収しようとしたがそれを阪神が阻止し、そして梅田〜西宮を伊丹・門戸厄神経由で作ろうとしたが迂回ルートだと速達性が薄くなるという理由で現在の塚口・西宮北口経由のルートに変更しましたがこれにより阪急と阪神の対立が激化しました。
当時の社名の「阪神急行電鉄」は現在の「阪急」の名称のルーツでもあるが、これは阪神への対抗から名付けたみたいです。
神戸線沿線は開業当初は利用客が少なかったですが、宝塚線で成功した住宅地建設や学校誘致などで乗客を増やすのに成功しました。噂では阪急は開業当初に乗客にハンカチを配布したらしいですが、阪神も対抗する形でタオルを配ったみたいです。
阪急電車では高速運転を売り物にして乗客獲得を目指しましたが、阪神も高頻度運転で対抗しました。
1月10日前後に開催される西宮神社の戎祭りのときに、阪急は西宮北口と夙川の間に臨時駅を設置し西宮戎への参拝客集めをしようとしましたが、当時西宮市内の電力事業を行っていた阪神が、妨害のために駅から神社までの街灯をわざと停電させたみたいです。
阪急は野球の活性化を目指してプロ野球チームをいち早く設立しましたが、チームが集まらなかったためやむなく解散し、その後阪神の甲子園球場開設や東京での読売ジャイアンツ設立を機に阪神が阪神タイガースを結成し、阪急も対抗する形で阪急ブレーブスを結成し西宮北口駅前に西宮球場を作りました。
しかし阪神タイガースは全国的な人気を獲得できたのに対し、阪急ブレーブスは熱狂的なファンをなかなか獲得できずその後阪急は球団をオリックスに売却し現在のオリックス・バファローズになりました。
オリックスになった後も1〜2年間は西宮球場が本拠地でしたが、その後オリックスの本拠地は神戸のほっともっとフィールドに移り、西宮球場自体は野球やアメフトや競輪やコンサートなど多目的に使われたものの、2002年には老朽化と利用低迷のため営業を終了、球場は阪急電鉄と東宝の子会社が運営していた併設のプールやゴルフ練習場などとともに解体され、跡地には2008年に阪急百貨店や映画館などを設置した巨大ショッピングモール「阪急西宮ガーデンズ」になりました。ちなみに・・・ここの5階には阪急電車や西宮球場などの資料を保存・展示している「阪急西宮ギャラリー」があり、平面交差時代の西宮北口駅の模型もあります。
阪急は六甲山の開発のために、六甲山麓から山頂近くまでにロープウェイを設置し、阪神も対抗して山麓から山頂までケーブルカーを作りました。しかし阪急のロープウェイは戦時中に資材確保のため撤去され、戦後は阪急バスで代替するようになりました。
阪神は阪急に対抗するため、阪急の縄張りである宝塚への新鉄道路線を計画し、尼崎から宝塚までの新線を建設しましたが、阪急も対抗する形で伊丹線を尼崎・宝塚に延伸する計画をたてました。
しかし尼崎〜宝塚新線は資金不足で断念し、線路用地をバス専用道に転用し阪神系のバス会社による大阪〜宝塚の路線バスを運行しましたが、宝塚駅前のバス乗り場では阪急がバリケードをつくってバス乗り場への道をふさぐなどの妨害をしたみたいです。
阪神は香櫨園から苦楽園方面へのトロリーバスを計画しましたが、阪急も対抗する形で夙川〜甲陽園の甲陽線を開通させました。しかし阪神のトロリーバスは中止になりました。
さらには、京阪電鉄が新京阪鉄道線(現在の阪急京都線)を開通させた際、阪神は新京阪線との接続駅である天神橋まで神戸からの直通電車を運行しようとしましたが、中津付近の阪急北野線との平面交差では優先権を持つ阪急が電車の本数を多くして阪神電車を妨害させたこともあったらしいです。
戦前の阪急と阪神は現在では考えられないくらいの掟破りな戦いを繰り広げましたが、戦後の神戸高速鉄道開通後は阪急と阪神が同じ駅で仲良く並ぶようになり、さらには2006年に阪神が村上ファンドに乗っ取られそうになったときには阪急が助けて経営統合しました。
阪急も阪神も、関西の足としてがんばってほしいです。