AKB48の総選挙圏外メンバー172人のソログラビア掲載誌が決定したようです。とにかくいろいろなメンバーにがんばってほしいです。
あの「マジすか学園」の第3弾を7月からやるらしいです。しかも、今度の舞台は監獄みたいです。楽しみです。
今回は東北のためにがんばるお笑いコンビ
サンドウィッチマンを紹介します。
=プロフィール=
1998年結成
グレープカンパニー所属
伊達みきお(ツッコミ):1974年9月5日生まれ、宮城県出身
富澤たけし(ボケ):1974年4月30日生まれ、宮城県出身サンドウィッチマンは、2人とも宮城県仙台市出身で、両方とも2009年に結婚し現在は1児の父です。
事務所は以前はフラットファイヴでしたが、2010年7月にグレープカンパニーに移籍しました。
2人とも酒は飲めないようですが、喫煙者らしいです。また、2人とも地元仙台の東北楽天ゴールデンイーグルスのファンみたいです。
伊達さんは仙台藩伊達家分家の末裔らしいです。また、「おなべ」と呼ばれたこともあったそうです。
2人が知り合ったのは仙台商業高校のラグビー部らしいです。
高校時代は現在の見た目とは対照的に、富澤さんが不良、伊達さんが優等生だったみたいです。
高校卒業後、富澤さんはピザ屋のバイトをしていて、伊達さんは福祉系の専門学校に進学したが3ヶ月で中退し、サラリーマンになるつもりだったみたいです。
富澤さんは最初は別の相方と一緒にアマチュアで活動していましたが、目標としていた仙台吉本が撤退してしまったため、伊達さんを誘って3年かけてくどき、1998年に2人で上京しました。
最初は「親不孝」のコンビ名で活動していましたが、その後浜田ツトムを入れて「サンドウィッチマン」になり、浜田さんの脱退後もコンビ名を変更せずそのままになりました。
ライブではうけていたがテレビから声がかからなかったみたいです。そしてライブを続けていたらテレビにカメラがかかり、「エンタの神様」で初のテレビ出演を実現しました。
昔はホリプロ(AKB48の板野友美(ともちん)や河西智美(とも〜み)や仁藤萌乃(もえの)や佐藤すみれ(すーちゃん)や山内鈴蘭(らんらん)も所属しています)などにも所属していたみたいです。
2007年のM−1グランプリで優勝しました。ちなみに・・・M−1優勝者で吉本以外の芸人は彼らとますだおかだとアンタッチャブルのみであり、なおかつ敗者復活戦からの優勝は彼らだけです。
その後2冠を目指してキングオブコント2009にも出場し、決勝進出しましたが、東京03に負けて2位に終わってしまいました。
2011年3月11日、宮城県気仙沼市でテレビ番組のロケをしていたら東日本大震災に遭遇し被災しました。
テレビ局のスタッフの指示で高台に避難し無事でしたが、津波と火災で市街地が壊滅してしまい山を降りられなくなり、ホテルのロビーに避難し、翌日には10時間かけて東京に戻りました。
その後、義援金口座を自ら開設、募金活動とチャリティグッズ販売を開始しました。2011年5月現在では3億円近く集まったみたいです。
ちなみに・・・東日本大震災を経験した芸能人はほかにもAKB48の岩田華怜(カレン)がいます。彼女はAKBデビューの直前に仙台市内の自宅で震災を経験し、震災直後は避難生活をしていました。
ネタは主にコントですが、動きや小道具ではなく会話で笑いをとるため、場所によっては漫才にすることも多いようです。
ネタ作りは富澤さんがノートやケータイに書き込んでやっているみたいです。
「エンタの神様」には早い段階から出ていた反面「爆笑レッドカーペット」の出演は長らくありませんでした。結局レギュラー時代の出演はスペシャル企画の「なぞときキング決定戦」のみでした。富澤さんが代表で出て決勝進出しました。ただし、姉妹番組の「爆笑レッドシアター」ではネタやつっこみ選手権のメンバーで何度も出演しました。
しかし、2012年4月に放送された復活特番の「爆生レッドカーペット」では「東北魂」のコラボカーペットで見事出演しました。ちなみに・・・このネタはBSフジの番組とのコラボみたいです。
宮城県や児童施設への寄付を目的としたチャリティーオークションで私物を提供することがあるみたいです。また、刑務所へ行くこともあるらしいです。
東京進出から9年間は一緒に住んでいましたが、現在はそれぞれの夫婦と一緒に個別で生活しているみたいです。
M−1には2002年から出場しましたが、最大でも準決勝敗退でした。しかし2007年は敗者復活戦で優勝し、決勝進出して見事優勝しました。
サンドウィッチマンは、お笑いの力で被災地も元気にしてくれそうです。
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