<< 鉄道150周年記念!人気番組「鉄オタ選手権」の名物コーナー「鉄オタあるある」を解説します。 | main | 碓氷峠鉄道文化むらのキャラクター >>

鉄道150周年!&鉄道の日!日本初の冷房車を運行したのはまさかのあの会社だった?

JUGEMテーマ:鉄道

 

鉄道150周年と鉄道の日おめでとう!これからも素晴らしい日本の鉄道でいてほしいです。(ぉぃ)

 

万博輸送のために作られた「リニモ」の9番編成がジブリパークオープンにあわせて復帰しました。今日の「めざましどようび」でも特集されたジブリパークに期待大です。(ぉぃ)

箱根登山鉄道のカレンダーが出ます。水彩画で描かれた登山電車は味があります。(ぉぃ)

 

鉄道150周年と鉄道の日を記念してブログでもInstagramでも電車投稿を積極的にしていて、NHKやケーブルテレビの電車番組も積極的に見ています。

今や電車に冷房があるのは寒い北海道の札幌市営地下鉄などを除いて当たり前ですが、日本で初めて冷房車が走ったのはどこだと思いますか?

それは関西の私鉄の南海電鉄(当時は南海鉄道)でした。

そこで今回は、南海が作った幻の日本初の冷房電車のことを書きます。

 

大阪・難波から関西空港や和歌山や高野山に向かう私鉄の南海電鉄は現存する日本最古の私鉄であり、関空特急「ラピート」や高野山特急「こうや」などは人気を集めています。

その南海電鉄が持っている意外な日本初は、冷房付き車両です。

南海電鉄は1885(明治18)年に大阪の難波駅(NK01)から大和川駅(現在は廃止)まで日本初の純民間による私鉄として開業し、1903(明治36)年に和歌山市(NK45)まで全通し以後阪和間唯一の鉄道として活躍しました。

しかし1929(昭和4)年人口が多い旧街道沿いの街を縦断する南海線から離れた人口が少ない農村地帯に突然、高速運転を自慢した京阪電鉄系の阪和電鉄(現在のJR阪和線)が開通し、南海は開業以来初となる大打撃を受けました。

その阪和電鉄は同じ京阪系列の新京阪鉄道(現在の阪急京都線)とほぼ同一の直線が多い線路と直流1500V電化と高出力大型電車を導入し、当時直流600V電化であった上に人口が多い場所を通っていて速度を出しにくい南海は大阪〜和歌山間で不利になりました。

その南海が打ち出した対抗策は、日本初の冷房付き電車でした。

1936(昭和11)年に大阪に本社がある大阪金属工業(現ダイキン工業)製の電動冷凍機を使用して巨大な車載冷房機を設置し、南海初の大型電車であるモハ2001系のうち1両に試験装備され、好評だったことから翌年1937(昭和12)年には改良された冷房装置が同形式4編成8両に搭載されるようになり、冷房電車は南海本線の特急・急行で活躍しました。国鉄(JR)紀勢線南紀白浜直通の客車を連結した特急「黒潮」でも活躍しました。

その冷房付き電車があまりにも好評であったことから先行する非冷房車を見送って後の冷房車に乗る人が後を絶たず、乗客が密集した冷房電車が非冷房電車より暑くなってしまったという伝説も残っています。同時期に国鉄(JR)の特急「燕」の食堂車に冷房が設置され、さらに日本の外地であった満州(現在は中国)の南満州鉄道の看板列車である特急「あじあ」号は全車両冷房付きになっていましたが、その2つは南海とは別システムでした。しかし戦前で唯一特別料金不要の列車に冷房付き車両を走らせた南海は時代を先取りしたといえます。

しかしその日本初の冷房電車も戦況悪化によって冷房装置が撤去され、その後南海の冷房車は1961(昭和36)年の特急「こうや」用20000系までありませんでした。戦後になってから有料座席指定特急では冷房付きが当たり前になり、高度成長時代になると通勤電車の冷房付きも当たり前になり、戦前の南海の冷房車はすっかり忘れ去られた存在になってしまいました。しかし戦前の南海の幻の冷房電車こそ戦後の鉄道冷房化の原点になったのは事実です。

ちなみに…南海では阪和電鉄対抗策として当時流行していた(国鉄モハ52形や名鉄3400系などが採用)流線形の冷房電車を特急用に計画していましたが、実現しませんでした。

鉄道の歴史を語る上で、南海の冷房車は忘れてはいけないと思います。

東横ライナー=葉月さくら * 鉄道ネタ * 13:04 * comments(0) * - * pookmark

スポンサーサイト

スポンサードリンク * - * 13:04 * - * - * pookmark

コメント

コメントする









このページの先頭へ