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中央林間は相撲の街になっていた可能性があった?

JUGEMテーマ:相撲

 

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今新番組「林修のニッポンドリル」をやっていますが、京都の平等院鳳凰堂や星野リゾートなどの秘密がわかってよかったです。裏の「くりぃむクイズ ミラクル9」は録画しています。

 

今日はいつもと趣向を変えて、私が見つけたトリビア・雑学を解説します。

私は毎日通勤で中央林間駅(DT27・OE02)を利用していますが、書籍「小田急沿線の不思議と謎」によると中央林間が史実の両国(東京都墨田区)のような相撲の街になっていた可能性があるっていう内容がありました。

そこで今回は、戦前に中央林間にあった相撲養成所と、それを含めた小田急の壮大な「林間都市計画」について書きます。この記事は「小田急沿線の不思議と謎」だけでなく、「小田急電鉄のひみつ」やインターネットの情報も参考にして書いています。

 

中央林間は神奈川県大和市北部にある地名で、小田急江ノ島線と東急田園都市線の2本の路線が乗り入れていることから通勤・通学に便利で子育て世代も増えて人気の街です。現在中央林間では高層マンションなどの建設が進んでいるほか、田園都市線開業と同時にオープンした中央林間駅ビルと東急ストアを「エトモ中央林間」「中央林間東急スクエア」にリニューアルしより便利な駅前になりました。

そんな中央林間の小田急線の両隣の駅は、新宿(OH01)方面が「東林間(OE01)」、片瀬江ノ島(OE16)方面が「南林間(OE03)」と「林間」と名が付く駅が3連続していますが、これは戦前の小田急が構想した「林間都市計画」の名残です。

そもそも小田急の林間都市計画は、阪急や東急による高級住宅地開発の成功を見た小田急が、乗客増加やイメージアップなどを目指した大型都市計画として計画され、現在の相模原市南区と大和市にまたがる小田急江ノ島線沿線の松林を開発し、中央林間と南林間の間には田園調布や北海道札幌のような碁盤目状の区画道路を張り巡らせてその敷地内に高級住宅地をはじめ、女学校(現在の聖セシリア女学院)やテニスコート・野球場・ラグビー場・相撲場などのスポーツ施設や映画撮影所などを整備して自然豊かで快適な生活ができる都市をめざし、東林間には工場を誘致し、さらに林間都市の近くにある小田原線座間(OH31)付近には巨大な遊園地を作り、将来は東京からの首都移転を目指すなど常識外れの壮大な都市計画でした。家を買った世帯に対し3年間の無料乗車券を送付するなど大胆な販促活動を実施していましたが、東京都心から遠かった上に電車の本数も少なかったため開発は思うように進まず、そのまま第二次世界大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)に突入し小田急の壮大な林間都市構想はとん挫してしまいました。しかし戦後には高度経済成長によって首都圏の人口が増加したことで林間都市エリアがその人口増加の受け皿になったほか、座間には日産自動車の工場が開設され開発が進むようになりました、そして東急田園都市線が中央林間まで開業すると、田園都市線が中央林間始発な上に渋谷や大手町などに直通できることから利便性が飛躍的に向上し、中央林間周辺の開発が急速に進んだことで「林間都市計画」が当初とは大きく異なる形になったもののようやく実現しました。田園都市線はもちろんのこと、小田急も特急ロマンスカーの町田(OH27)・相模大野(OH28)停車や複々線完成の白紙ダイヤ改正による快速急行大増発&スピードアップや千代田線直通通勤準急運転開始でかなり便利になりました。

その林間都市計画の構想の中には、相撲学校の誘致があり、最近何かと話題が多い日本の国技である相撲の街といえば相撲の聖地国技館がある両国なのは有名ですが、もしかしたら中央林間が相撲の街になっていた可能性があったみたいです。

小田急が江ノ島線の利用客増加とイメージアップや林間都市開発のために当時の大日本相撲協会に相撲学校の誘致を呼びかけた結果、中央林間への相撲学校誘致に成功しました。

相撲学校は江ノ島線開通2年後の1931(昭和6)年に開校し、50人程度の訓練生が入所してスタートし、同年6月には300名もの力士を集めた土俵開きの相撲大会を開催し、大関の大ノ里や関脇の天竜など当時の人気力士が多数参加し大いに盛り上がりました。その後も相撲大会をたびたび開催し、小田急も電車を増発したり割引切符を発売したところ相撲大会開催日は電車がいつも満員になるくらいにぎわいました。

こうした中央林間での相撲イベントが軌道に乗り、小田急の経営改善や相撲の安定した人気に貢献できると期待されていましたが、相撲学校開校翌年の1932(昭和7)年に前述の大ノ里や天竜が中心となって力士の待遇改善を求める大規模なストライキが発生し、それが中央林間での相撲イベントも直撃する大騒動になりました。

相撲の力士は今でこそ高給与のイメージが強いですが、戦前は今とは真逆で力士の給与は非常に安く苦しい生活を強いられてた上に、金を借りる師匠の給与も明らかにされていないことから相撲協会不信が高まり、結局多くの力士は相撲協会を造反しそれによって相撲協会は大打撃を受けてしまい、そのあおりで相撲学校も自然消滅してしまいました。

このように中央林間の相撲学校構想は予想外の大騒動によって幻になってしまいましたが、もし騒動がなかったら相撲の聖地は領国ではなく中央林間だった可能性もあったと思います。

このような歴史トリビアを書くのも面白そうだと思います。またネタを探したいと思います。(ぉぃ)

東横ライナー=葉月さくら * コラムとか * 20:54 * comments(0) * - * pookmark

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